ちょっとしたところに載せてもらったコラム。字数制限が厳しいのに内容を無理に詰め込んだ感じはしますが、まあ。

あのころは遊園地があった


栃木県小山市にある郊外ショッピングセンター「おやまゆうえんハーヴェストウォーク」の一画には「フランス製2層式」のメリーゴーランドが置かれている。中の絵はフランスの職人によって描かれたもので、億単位の価値があるのだとか。


これは、そんな文化財級のメリーゴーランドが、郊外のショッピングセンターにたどり着くまでのエピソードである。時は昭和30年代、日本にも「和製ディズニーランドを」と考えた人物がいた。「昭和の興行師」と呼ばれた松尾國三は、米国のディズニーランドを模したテーマパーク「横浜ドリームランド」を1964年に8月に戸塚に開園する。このメリーゴーランドはもともと、同園内に置かれたものであった。


開園当初は人気を誇ったものの、交通の便の悪さ、83年の東京ディズニーランドTDL)オープン、松尾國三の死などにより赤字経営が続き、2002年2月に横浜ドリームランドは幕を閉じる。その際、経営の一端を担っていたダイエーが、同年リニューアルされた小山ゆうえんちへこのメリーゴーランドを移したのである(「小山ゆうえんち〜♪」のCM、懐かしいですね)。


しかし、メリーゴーランドの流転は終わらない。リニューアル後も小山ゆうえんちの経営は好転せず、2005年2月にヨークベニマル社にすべてを売却し、45年間の歴史に幕を閉じる。ほかの遊具が撤去されていく中、跡地に建てられた冒頭のショッピングセンター内にこのメリーゴーランドは残された。メリーゴーランドが持つ芸術的価値を踏まえての措置だったそうである。


「東京マリン」「向ヶ丘遊園」「奈良ドリームランド」……2000年代、多くの遊園地が閉園に追い込まれた。近年の都市型テーマパークの成功例といわれた「ナムコナンジャタウン」もアトラクションは2010年5月をもって営業を終了し、TDL東京ディズニーシーを除いた数多くの遊園地は、昭和の記憶とともに失われつつある。


なお、流転を重ねたこのフランス製2層式メリーゴーランドは、今も現役である。多少古ぼけてはいるものの、きちんと手入れがなされ大切にされているのだろう。上品なピンク色のフォルムが夜、美しく輝くのだ。


決して人気とはいえないけれど、ちらほらと子どもたちが乗り込んでいくメリーゴーランドに、あのころの夢のかけらを見た。