プログラマ荒俣宏の副業生活

副業の話をしよう。

「なぜ副業の話なのか?」ってそりゃあ、ブームだからだ。

昨年のとある調査によれば、副業経験があると答えた22〜39歳の正社員・契約社員は3割を超え、2007年からほぼ倍増(※)。周りにそんな人いないよ、と思うかもしれないけど、副業を禁止している会社も多いからあからさまにいわないだけで、ほら、あなたの同僚や隣の部下も、FXやWebライターで小銭を稼いでいるかもしれない。

IT業界における副業の成功者って誰だろうか。『ぼく、オタリーマン。』のよしたにさんはうらやましいよなあ、なんて思いつつ、さらにさかのぼると作家としてベストセラー『帝都物語』を世に出し、『トリビアの泉』のパネラーでもあった荒俣宏氏が思い浮かぶ。実は彼、プログラマとして9年間のサラリーマン生活を経験しているのだ。

大学時代から幻想文学の翻訳をおこなっていた荒俣青年であったが、幻想文学など印税も入らないマイナーな分野。大学卒業後、「どうせ一生イヤな仕事をして暮らすなら、せめて好きな魚の相手でもしよう」と日魯漁業(現・マルハニチロホールディングス)に入社したものの、魚とは無縁のコンピュータ室にプログラマとして配属されてしまう。

こうして「遺憾ながら」始まったサラリーマン生活であったが、翻訳の作業は変わらず取り組んだ。昼休みに原書を1ページ訳出することを課し、作業時間を捻出するために、睡眠時間を3時間しかとらない生活は、会社勤めの間ひたすら続けられたという。

また、原書、奇観本の代金を捻出することにも力は注がれた。「冠婚葬祭にも活用できるから」と黒いスーツを選び年中それを着続け、目が悪いために必要としたメガネは、買い換えたことでお古となった同僚のものをもらいうけた。こうして仕事以外すべてを幻想文学に捧げる生活は続き、プログラマという定職を持つ身でありながら、『幻想と怪奇』『世界幻想文学大系』『別世界通信』などを刊行していったのである。

こんな生活を送っていた荒俣先生のプライベートが気になるところだけど、80年代の『POPEYE』において「僕は24歳なんですけど彼女がいません、どうしたらいいんでしょうか?」という読者からの相談の回答が「彼女がいないのは当たり前です、そんなことは40歳になってから心配すればよろしい」だったことから、何かを察したいところである。

そして入社から9年間後、「将来もコンピュータ産業は花形だから再就職はいつでもできる。2、3年は翻訳に専念したい」と退社。その後の華々しい活躍は知っての通りだろう。

こんなご時世だから、格差と貧困のこの世を生き抜くための「稼ぐための副業」がクローズアップされがちだけど、お金にならない趣味としての副業に打ち込めるのも、生活を支える本業があればこそ。ここ最近あまり見かけない荒俣先生に語ってもらいたいのだ。昨今の副業ブーム、そして趣味としての副業について。

※ tp://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/01/news012.html